なぜ,選択ルールが生れたのか ~ 最古のフットボール・ルールから考える ~

髙木應光(神戸居留地研究会)  星野繁一(龍谷大学)

キーワード:産業革命。アダム・スミス、J.ベンサム、T.アーノルド、時代思潮

【目的】
 ラグビーには、他種目と少々異なったルールがある。それは選択肢のあるルール(〔選択ルール〕と記す)である。大半のスポーツの場合、例えばAというミス・反則に対してA1という再開方法が設定されている。だがラグビーでは、それ以外にXというミス・反則に対してX1、X2、X3と2~3の選択肢から相手チームが選択して次のプレーを再開する方法が存在する。現行ルールでは、その数12にもなる。なぜ、このような〔選択ルール〕が生れたのだろうか、との疑問を持った。

【調査・考察方法】
 現在、世界にはフットボールと名のつく球技、即ちサッカー、アメリカン、カナディアン、オーストラリアン、ゲーリック、ラグビーのユニオン及びリーグ、計7つ存在する。これらの中で最古のルールは、ラグビールールである。1845年ラグビー校の「レヴェ」と呼ぶ最高学年クラスの会議で議決され成文化・印刷された“LOWS of FOOTBALL PLAYE At Rugby School”(1845年ルール)が、それである。〔選択ルール〕を含むこの最古のルールと現行ルール等を比較すると共に、当時のグラウンド環境や時代思潮が、〔選択ルール〕制定に影響を与えたのではないか、と仮定し考察してみた。

【時代の思潮】
 当時は産業革命が進展し、ブルジョワジーが英国社会の新しい支配層に成長しつつあった。彼らの思想的背景にはアダム・スミスやJ.ベンサムらが存在した。「一つの社会階級が絶大な自信を持って迷うことなく社会をリードし(略)英国の産業革命は、これに近い状態を産業資本家の為に作り出しつつあった。(略)彼らにとって利潤の追求に成功することは快楽であり、財産の損失は苦痛であった。」(山田英生)自由主義を土台として資本主義や功利主義思想が、この時代をリードしていたといえる。

【ラグビー校のグラウンド環境】
 1845年ルール18条には「木に当たってタッチとなったボール持つプレーヤーやボールと共に木に触れてタッチとなったプレーヤーは、木のどちら側からでもドロップキックを行っても良い」と、選択ルールの原型ともいうべきルールが存在していた。T.ヒューズ著『トム・ブラウンの学校生活』を読むと、楡の並木をタッチラインに利用していたことが分る。これが〔選択ルール〕誕生の理由の一つである。

【校長 T.アーノルド】
 校長T.アーノルドはブルジョワジーの思想に利己主義的な側面を発見し、それを嫌ったが、彼ら子弟の入学を優先させた。それはなぜか、文化・教養・品行を蔑視するブルジョワジーをキリスト教ジェントルマンに、真の指導者層に、位置づけることが英国社会とって最重要と考えたからである。即ち、彼らを体制内化することにより社会の安定・進歩を求めたのだった。
 校内でも「プレポスター=ファグ制度」を活用し、リーダーの最高学年生をアーノルド体制に組込み、学校紛争を他校に先駆けて解消した。その結果、フットボール等がより盛んになり、やがて校内の新しい秩序・雰囲気に合うような形で、選択ルールを含む最古の1845年ルールが成文化されたと考えられる。